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神仏画御朱印帳

神仏画御朱印帳


神仏画御朱印帳
線を自在に操る神仏画家 藤澤松蹊

絵師である父親のもとで日本画・神仏画を学び、現在は画家の集団「藤煌会」(美術年鑑搭載)から、多数の神仏画を世に送り出すと共に、若手絵師の育成、仏画教室等、現代に通用する神仏画の普及活動に力を注いでいる。

繊細で柔らかなラインに絵師の想いをこめた神仏画は、まさに極めた存在であることを全身で訴える作品となり、全国の神社・寺院や企業からの信頼も厚く、数多くの作品創出に繋がっている。

そんな神仏画家 藤澤松蹊も、元々は掛軸問屋の営業をしており、家業を継承するためにこの世界に飛び込んだ。

当時はそれほど絵が好きではなかったという。
バブル期の真っ只中には注文が殺到し、忙しさに追われ、作業として絵を描くことを強いられたことも、未熟さゆえに頭に描いているものを絵に表現できず、葛藤のなかで苦しんだ日もあった。

それでも絵と向き合い続けることで、昨日まで描けなかったものが、ある日突然描けるようになる。

それが自信となり、プレッシャーや迷い、葛藤を超越し気持ちが前に進み理想のものができてくる。

「筆を重ねつづけることで、それまで見えなかったものが見えてくる楽しさがこの世界にはある」と、語る。

想いで操る無数の線

松蹊が神仏画を描くうえで、最も大切にしているのが「想い」、そしてこだわるのが「線」である。
描く作品の多くは、そのほとんどが神仏画であり、人々が拝む対象物になる。

だからこそ、描く仏様や神徳の意味・謂れ(いわれ)を想いながら描くのだという。

観音様を描く際には、様々な厄災・不安・恐怖を取り除き、幸せをお授けになる観音様のご請願を思い描き、眉や髪の生え際など、繊細な線を一本一本描き重ねていくことで、観音様の表情はやわらかくなる。

書き手の想いは、必ず作品に投影する。常に厳粛・穏やかな状態を保ち、心乱れるときは筆を持たないと徹底している。
松蹊が描く線はとても繊細である。
筆と指の接点で脈を感じながら描く線は、0.0数ミリからはじまり、静かにカーブをえがきながら徐々に太く、最後は細く静かに逃げていく。

そんな卓越した技の繰り返しで、産毛から太く濃くなる毛のかたまりを表現する。
描いているときは息をとめて、時が止まるぐらいの静寂がつづくのだそうだ。神仏画に関して門外漢の私にもわかりやすく、ゆっくりとした口調で語る姿に、松蹊の描く日本画・神仏画が、繊細で柔らか慈愛に満ちていることの理由が理解できた。

家族

彼が並々ならぬ才能を発揮できた背景に、同じく絵師である奥様の存在は大きい。
この世界に飛び込み、右も左もわからない時代に、神仏画のいろはを教えてくれた先輩のひとり。

才色兼備であり、周りの人への優しさや気配りにも優れた彼女は、松蹊のよき理解者であり、一番の応援団長である。

そして、絵師の夫婦を支えるのが3人の子供達。
法律家をめざす息子に、建築設計士をめざす娘。気がつけば、子供達も随分と大きくなっていた。
一度は自分の夢に向かい飛びだした長男も、挫折、経験を重ね、神仏画家の道を歩みはじめている。

子供達のなかで最もながい時間、神仏画家である親の背中を見てきた長男だからこその選択なのかもしれない。
職人の道は険しい。息子をみつめる松蹊の瞳は自然と厳しくなる。

その厳しい視線と責任の大きさを背中で感じながら、彼もまた若かりし日の父親と同じように、1日何本もの線を描き、神仏画家への道を歩みはじめている。

そこには、その日をゆっくりと待ちたいと思える光景があった。

線のおわり

藤澤松蹊に現役を退くタイミングについて尋ねてみる。
先代は70歳近くまで現役だった。年齢を重ねていく途中で、筋力や体力的な影響から細かく繊細なものが描けなくなり、自分が最もこだわる線が描けなくなった時に、おそらく感じるのだという。

「あぁ、もう絵が描けんくなるな」と。

遠いその日を頭に浮かべ、どことなく寂しそうな表情で発した言葉のあとに、

「そうなったら、これまでとは異なった線を追及していくと思います」

と、どこまでも前向きで、線にこだわり続ける。

藤澤松蹊53歳。(※掲載当時)

今日も神仏画に夢中である。