御朱印めぐり

興福寺(世界文化遺産)ご朱印③2012/12/19

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興福寺 世界文化遺産 御朱印

世界文化遺産の御朱印があるんですね。

御朱印集されていない方でも、世界遺産がお好きな方や外国からの観光の方に、この御朱印は素晴らしい記念になるのではないでしょうか^^

こちらも「中金堂」「東金堂」の御朱印をいただいた納経所にていただきました。

右上には「世界文化遺産」の印。墨書きは「令興福力」。

『令興福力』とはどういう意味かと調べてみました。
「福を起こす力を持つお寺となる」という意味だそうで、藤原不比等の父、鎌足が信仰していた『維摩経』(ゆいまきょう)に「福力を興さ令む(ふくりきをおこさしむ)」という経文があり、それが「令興福力」の言葉の由来となっているという説があるようです。
 

興福寺(東金堂)ご朱印②2012/12/17

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興福寺 東金堂 御朱印

こちらの御朱印も東金堂の前の納経所にていただくことができます。

私はこちらの納経所でいただける御朱印をすべてお願いしたので、番号札をいただいて、五重塔などを見物していました。

戻ってみると納経所は長蛇の列で驚きました。

~東金堂について~

 

中金堂(ちゅうこんどう)の東にある金堂で、西向きの建物です。神亀3年に聖武天皇が叔母元正太上天皇の病気全快を願ってお建てになりました。
創建当初は床に緑色のタイルが敷かれ、薬師如来の浄瑠璃光世界がこの世にあらわされていました。以来6度の被災、再建を繰り返し、今の建物は応永22年に再建されました。
 正面7間(25.6m)、側面4間(14.1m)、寄棟(よせむね)造り、本瓦(ほんがわら)葺きの建物で、前面を吹放(ふきはなし)とし、木割(きわり)が太く、奈良時代の雰囲気を伝えます。
堂内には本尊薬師如来像、日光・月光菩薩像(以上いずれも重要文化財)、文殊菩薩像と維摩居士像、四天王像、十二神将像(いずれも国宝)が安置されます。
 
~公式サイトより~

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年末年始の営業日についてご案内させていただきます。

お休み期間中、大変ご不便をお掛けいたしますが何卒ご了承くださいますようお願い申しあげます。
★休業日★2012年12月28日(金)~2013年1月6日(日)★
・発送可能日時(銀行振込決済の場合は下記時間までにお振込みいただいた方)
2012年12月27日(木)の15時までにご注文いただいた方
2013年1月7日(月)以降
※最終発送日が2012年12月27日(木)になります。お正月に使われる御朱印帳のご注文はお早めに^^
※2012年12月27日15時以降~1月6日の間にご注文いただきました場合、宅配便の指定時間のご選択は1月9日以降の対応になりますのでご注意下さい。
休暇中のお問合せにつきましては1月7日(月)以降に順次対応させていただきます。
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★御朱印帳専門店Holly Hock★

 

興福寺(中金堂)ご朱印①2012/12/14

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興福寺 中金堂 御朱印

東大寺と同日に訪れた興福寺の御朱印です。

興福寺の境内もかなり広く、見所がたくさんあるのですが、残念がら時間切れで全て回ることができませんでした。

御朱印は東金堂と五重塔の前辺に納経所があり、そちらでいただくことができました。

興福寺もたくさんのお堂があり、御朱印も1つでなく何種類かあるようです。

私が今回4つの御朱印をいただきました。

~中金堂について~

興福寺には、金堂が3棟ありますが、そのうち中心となる金堂を中金堂と呼びます。
和銅3年(710)の着手、7年の完成で、その創建者は藤原不比等です。
興福寺の縁起類をまとめた『興福寺流記』に中金堂院の規模を、次のように記します。
「金堂一宇 宝字記云 長十二丈四尺 延暦記云 九間十丈五尺云々 広□八尺 延暦記五丈八尺 大小垂木端并高欄用截金銅餝 延暦記高二丈三尺五寸」また堂内には本尊釈迦丈六仏像、脇侍菩薩4躰(十一面観音二躰と薬王、薬上菩薩)、四天王像、さらに2組の弥勒浄土像が安置されていました。この弥勒像のうち古い像は、興福寺創建者藤原不比等の妻橘三千代が、不比等の一周忌にあたる養老5年(721)に造像したと記しています。
 
平成22年に興福寺創建1300年を迎え、平成30年(2018)に中金堂の落慶を目指して計画が練られています。
再建は創建当初の復元を目指し、まず発掘調査の結果に基づいた平面規模と位置の確認を行い、建物の形式と構造・意匠は奈良時代以降の縁起類をまとめた『興福寺流記』、平安時代後期の『七大寺巡礼私記』、中世再建建物の絵画、構造図などの史料を参考に、古代建築史の研究成果に基づいて、興福寺中金堂復元検討委員会で慎重な審議が重ねられました。平成19年(2007)9月に『史跡興福寺旧境内復元検討資料』がまとまり、復元計画案の策定が行われました。
仕様面では古式に則る純木造建築であるため、基本的には奈良時代から現代まで脈々と受け継がれてきた日本建築の伝統的な木工技法を踏襲すると共に、関連するその他の工事の実施にあたっても、出来得る限り古式の工法を採り入れました。
興福寺は度重なる火災後の再建に際しては、創建当初の姿や規模にこだわってきました。それほど保守的で、奈良時代への愛着があったのです。創建当初の図面は伝わっていませんが、記録や発掘調査の結果から、創建当初の中金堂規模は東西36.6m、南北23m、最高高21.2m、寄せ棟造、二重屋根、裳階付きで桁行(東西)9間、梁行(南北)6間の建物です。
平成二十二年(2010)に10月立柱式を終え、落慶は平成三十年(2018)の予定です。
 
~公式サイトより~
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東大寺(戒壇堂)御朱印⑦2012/12/06

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東大寺 戒壇院 御朱印

東大寺での最後の御朱印、「戒壇堂」です。

東大寺では御朱印は7ついただきました。この後に興福寺にもお参りにいきたかったので、時間切れです。

次回訪れた際にはぜひ、他のお堂も行きたいです^^

情報としましては、大仏殿(1種類)、二月堂(1種類)、三月堂(2種類)、四月堂(2種類)、不動堂(1種類)、戒壇堂(1種類)、念仏堂(1種類)、行基堂(1種類)、俊乗堂(3種類)、鐘楼(1種類)、手向山八幡宮(1種類)らしいです。

※平成25年5月下旬頃まで、三月堂(法華堂)は修理のため、拝観停止となっていますので、四月堂で御朱印がいただけます。

東大寺では15もの御朱印がいただけるようです。大仏殿の御朱印の墨書きは、「華厳」「大仏殿」「唯心」などたくさんあるようですので、訪れる楽しみもできました。

三重県からですと、「東大寺の大仏さま」といえば、遠足や小学校の修学旅行のイメージが強いのですが、大人(精神的大人)になってからの東大寺、良いです。

境内の敷地もかなり広いですし、素晴らしい仏像や建造物を拝むことができますので、東大寺おすすめです^^

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~戒壇堂について~

県指定の重要文化財の戒壇堂(かいだんどう)。
754年(天平勝宝6)、聖武上皇は光明皇太后らとともに唐から渡来した鑑真(がんじん)から戒を授かり、翌年、日本初の正式な授戒の場として戒壇院を建立しました。
戒壇堂・講堂・僧坊・廻廊などを備えていましたたが、江戸時代までに3度火災で焼失、戒壇堂と千手堂だけが復興されました。
お堂の中央にある塔を守るため、その四隅に土で何層にも塗り重ねてつくられた武将の姿をした四天王が安置されています。
 
~公式サイトより~
 
【おまけ】
 
二月堂から戒壇堂まで歩いた途中でみつけた、鹿についての注意看板。かわいかったのでパチリ。
 
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表現方法がかわいい看板ですが、実際に南大門をぬけた一番にぎやかな辺で、小さなおこさんが雄の鹿に頭でどつかれて、ふっ飛ばされて号泣していましたのでくれぐれも小さな子をお連れの方はお気をつけ下さいませ。
 

東大寺(不動堂)ご朱印⑥2012/12/03

東大寺-不動堂-御朱印...

東大寺 不動堂(五大力尊) 御朱印

二月堂のお参りをして、納経所で御朱印をいただき、東大寺御朱印初心者の私は次はどちらにいけば良いか尋ねてみました。

二月堂の納経所をまっすぐいくと左手に休憩所、その先に階段がみえるので、そちらを登り少し歩くと、不動堂がありました。

人は・・・ほとんどいませんでした。

不動明王さまがお好きな方はぜひ、お参りを。

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→ 御朱印帳専門店 Holly Hock

東大寺(二月堂)ご朱印⑤2012/11/29

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東大寺 二月堂 御朱印 (観自在)

二月堂の御朱印は、建物の階段をあがる手前(四月堂から歩いて行って右側)にあります。

東大寺-二月堂-納経所...

東大寺は「納経所、どこかな~・・・」と探すことがない場所にあるので、助かります。

今回いただいた御朱印の文字は「観自在」。帰ってきて調べてみると、こちらでは他にも「観音力」や「南無観」と書いてくださるようです。

※日によって違うのか、時期によって違うのかはわからなかったです。

~二月堂について~

旧暦2月に「お水取り(修二会)」が行われることから「二月堂」といわれる。

二月堂は平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の戦火には焼け残ったが、寛文7年(1667年)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。本尊は大観音(おおかんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏であり、建物は2005年12月、国宝に指定されました。

 

「お水取りとは」
 
奈良時代に始まってから現在まで一度も途切れずに続けられてきた法要です。
選ばれた11人のお坊さんが、私たちにかわって、私たちのおかした罪を許してもらえるよう、また、世界の平和や私たちが幸せになるように観音さまにひたすらに祈ります。
 
この法要の中で、井戸からお水を取る儀式があることから「お水取り」、修行に向かうお坊さんの道明かりとして燃えさかるたいまつを使うことから「おたいまつ」などと呼ばれるようになりました。
 
~公式サイトより~
 
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国宝建造物の二月堂
 
人が多い日でしたのでたくさんの人物が写ってしまい、建物の写真がアップできませんでした(^_^;)
 
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二月堂からみた景色
 
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東大寺(四月堂)普賢菩薩 ご朱印④2012/11/28

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東大寺 三昧堂(四月堂)普賢菩薩

東大寺、四月堂でいただいた三つ目の御朱印「普賢菩薩」です。

かつて本堂の「千手観音像」の脇侍だった「普賢菩薩像」を本尊として安置していたので、「普賢三昧堂」とも称されていたということで、普賢菩薩の御朱印がありました。

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御朱印をいただく場合は、お堂の中に上がらせていただいて、、御本尊にお参りし、御朱印をお願いします。

※御朱印は入り口の柱と中に貼ってありました。

連休中でしたので、大仏殿はもの凄い人だかりでしたが、2月堂周辺は人も少なく、穏やかにまわることができました。

実は私も、東大寺には何度も訪れたことがあったのすが、大仏殿周辺しか行ったことがなく、御朱印収集をはじめたことでいくつもの建造物や仏像を見ることができて良かったです^^

四月堂の後は景色も美しい二月堂へ向かいます。(つづく)

 

 

東大寺(四月堂)千手観音 ご朱印③2012/11/27

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東大寺 三昧堂(四月堂) 御朱印

法華堂(三月堂)の御朱印を四月堂でいただき、千手観音様を拝ませていただきました。

毎年四月に法華三昧堂が行われることから三昧堂(さんまいどう)、あるいは四月堂と呼ばれているそうです。

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~東大寺 三昧堂(さんまいどう)【四月堂】~

三昧堂は俗に四月堂と呼ばれ、現在は千手観音菩薩が本尊となっているが、かつては普賢菩薩像を本尊としたため、普賢堂とも呼ばれた。平安後期の記録『東大寺要録』によれば、治安元年(1021年)に仁仙大法師と助慶聖人が創建し、傍らに僧坊を造って法華三昧行を修行したという。これは『法華経』普賢菩薩勧発品の所説に依っており、本堂内左脇厨子に安置されている普賢菩薩騎象像がそのとき本尊だったと考えられている。

なお現在のお堂は延宝九年(1681年)の再建で、本尊の千手観音は明示三六年、すでに客仏として安置されていた法華堂からここに移された。

~いただいた御朱印に挟んでいただいた用紙の文言より~

 

 

東大寺(三月堂)ご朱印②2012/11/26

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東大寺 法華堂(三月堂) 御朱印

二月堂に向かうべく、紅葉を楽しみながら情緒ある階段を登っていきました。

お土産屋さんとお食事処があるところで、軽くお食事をして、また階段を登って行きます。

階段を登ってすぐ左手に四月堂がありましたので、そちらにいらした職員の方に御朱印のことをお尋ねしました。

現在、法華堂(三月堂)は平成23年8月1日から平成25年5月下旬頃まで、修理事業のため拝観停止になっているので御朱印は四月堂でいただけるとのことでした。

~法華堂(三月堂)について~
 
法華堂は東大寺で一番古い建物です。
 
いい伝えでは東大寺の元になった古いお寺の跡とされています。
奈良時代と鎌倉時代、ふたつの時代の建物がバランスよくつながれています。
堂内には、奈良時代の仏さまがたくさんおられます。
 
法華堂に安置されている仏さまが、国の補助を受けて3年計画の予定で修理されることに伴なって、平成22年5月18日から7月31日まで法華堂の拝観が停止されます。
拝観が再開される8月1日からは、日光・月光菩薩など七体の仏さまが安置される予定です。
 
つづく
 
 

東大寺(大仏殿)ご朱印①2012/11/25

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東大寺 大仏殿 華厳 御朱印

まず向かったのは東大寺のご本尊、盧舎那仏坐像(るしゃなぶつぞう)奈良の大仏さまが安置されています、大仏殿(金堂)です。

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南大門をくぐり・・・

寺門に安置されています、国宝の仁王像、吽形(うんぎょう)と阿形(あぎょう)を拝みます。
門の向って右側に安置されている口を閉じた像が吽形(うんぎょう)です。
高さ8.4メートルもの木像はいつみても迫力があります。
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吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人と共に造った像
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阿形像は大仏師運慶および快慶が小仏師13人を率いて造った像
そして、拝観料をお納めして、中門から中に入ります。
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国宝建造物の大仏殿。
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東大寺ができてから2回、戦に巻まれて燃えてしまい、現在のお堂は江戸時代に建てられたもので、その時は江戸幕府の都合で、最初に建てられた時より小さくなってしまいましたがそれでも、木で造った建物として世界最大級の大きさを誇ります。
 
そしていよいよ大仏さま。
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穏やかな表情が神々しいです。
 
~大仏さまについて~
 
聖武天皇の願いで745年に製作がはじまり、752年に完成しました。高さが約15メートルもあるとても大きな仏さまなので、『大仏さま』と呼ばれていますが、正式な名前は『盧舎那仏(るしゃなぶつ)』といいます。
 
大仏さまは戦に巻き込まれて何度も燃えてしまったため、何度も修理されて今の姿となっています。そのため、奈良時代から伝わっている部分は、台座)、ひざ頭の一部です。
 
天平時代は正倉院宝物に代表されるように華やかな時代でしたが、政治的な争いや、かんばつ・ききん、凶作、地震、天然痘の大流行など、とても苦しい時代でもありました。
 
そこで聖武天皇は、仏教の根本経典といわれる『華厳経(けごんきょう)』を政治の中心にすえて、人々の心が思いやりの精神でつながることができるよう、さまざまな政策を実行して行きます。
 
『華厳経』には、お釈迦さまの身長を10倍することによって、無限大の宇宙を表現することが説かれています。
 
東大寺の大仏さまは盧舎那仏といって、宇宙そのものを表しています。
 
~公式サイトより~
 
大仏殿でいただいた御朱印は「華厳」。
御朱印をいただいた方に「なんとお聞きしたらいいのだろう?」と思いながら
 
「こちらでは御朱印はいくつありますか?」と尋ねてみました。
「こちらでは1つですが、ここに書いてあるだけ(貼ってある紙を指して)あるので行ってみてください」と丁寧に教えて下さいました。
 
その段階でいくつもあったので
 
「おすすめはありますか?」と何やら、レストランで聞くようなおかしな聞き方をしてしまいました(^_^;)
 
「二月堂と戒壇堂はぜひ」ということでしたので、次は二月堂へと向かいました。
 
つづく
 
 

 

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